1886年(明治19)のこの日、フランスやドイツが中心になって1875年(明治8)に締結されたメートル条約に日本も参加する旨の勅令が公布されました。
これは明治時代の出来事です。少し詳しく覗いてみましょう。
これは2分程度で読める記事です。
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1.解説
メートルという単位を使う方式は、1791年(日本では江戸時代の寛政3)にフランスの科学アカデミーが地球子午線の一象限(いちしょうげん)の1000万分の1を1mとする方式を決定し、そして1799年(日本では寛政11)にバルセロナ〜ダンケルク間の三角測量によりメートルの原器を作成したことに始まります。
1875年(日本では明治8年)5月に行われたメートル会議で、度量衡の国際的な統一を目的として「メートル法に関する条約」が締結されました。その時、条約に署名したのは以下の17カ国でした(国名称は当時のもので、また署名順にしたがって以下に記します)。
- ドイツ帝国
- オーストリア・ハンガリー帝国
- ベルギー王国
- ブラジル帝国
- アルゼンチン共和国
- デンマーク王国
- スペイン帝国
- アメリカ合衆国
- フランス共和国
- イタリア王国
- ペルー共和国
- ポルトガル・アルガルヴェ連合王国
- ロシア帝国
- スウェーデン・ノルウェー連合王国
- スイス連邦
- オスマン帝国
- ベネズエラ共和国
随分とまぁ懐かしい国名が並んでいますねぇ。
この条約締結を契機にメートル法が世界的に普及していきますが、1875年(明治8)当時、我が国は尺貫法を用いていました。その日本にも、ドイツ公使を通じて条約加盟への勧誘がありましたが、我が国は加盟を見送り、同年に公布した度量衡取締条例(明治8年太政官達135号)では、尺貫法を継続採用しました。
ところが1884年(明治17)に新たな転機が訪れます。
新たにメートル原器を製作するとの情報が日本にもたらされたのを機に、日本もメートル条約へ加盟することが方向付けされ、翌1885年(明治18)10月に加盟手続を終え、そして1886年(明治19)のこの日、メートル条約(明治19年4月20日勅令)として公布されたのでした。
ちなみに、1885年での加盟手続きというのは、上記の17カ国の他に
- 1884年:イギリス・ルーマニア
- 1885年:日本
という具合に20番目の加盟でした。
しかし、条約に加盟しましたが、1891年(明治24)に度量衡法を制定して、尺貫法を採る混用体制が長らく続きました。
第二次世界大戦後、1951年(昭和26)に度量衡法は廃止され、計量法が制定され、1959年(昭和34)には土地・建物の坪表記を除き、メートル法に一応統一されました。
現在では、より統一性の高いSI(国際単位系)が採用されています。
2.他の年、この日の記事
他の年には、こんな記事を書いています。こちらも併せて御覧下さい。(記事が先の日付の場合は表示されません。当日にならないと公開しないように予約投稿しているためです)。
今日はここまでです。
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